草木の脈―飯沼慾斎

目次

①時代と舞台

江戸時代後期、美濃国(みののくに)大垣(おおがき)(いまの岐阜県大垣市)。町医者から植物学者となり、日本で初めて西洋の分類法による植物図鑑を著(あらわ)した飯沼慾斎(いいぬまよくさい)の生涯を描く物語です。

②歴史の手がかり

  • 飯沼慾斎(1782〜1865) 伊勢国亀山(いまの三重県亀山市)の生まれです。寛政6年(1794年)、十二歳ごろに大垣の医者・飯沼長顕のもとへ移り、のちに飯沼家を継ぎました。
  • 本草学と小野蘭山 江戸時代、薬になる植物や鉱物を調べる学問を「本草学」といいました。小野蘭山はその第一人者で、慾斎は京都でその門に学びました。
  • 蘭方医学 オランダ語の書物を通じて西洋医学を学ぶ蘭学が広まった時代です。慾斎は江戸で宇田川榛斎に学び、大垣で蘭方医として診療し、人体の解剖も行いました。
  • 平林荘と『草木図説』 天保3年(1832年)に医業を退き、大垣郊外の長松村に「平林荘」を営んで、植物の観察と写生に打ち込みました。リンネの分類法を取り入れた『草木図説』(草部)は、安政3年(1856年)から文久2年(1862年)にかけて刊行され、日本最初のリンネ式植物図譜とされています。

③あらすじ

十二の春、大垣の叔父の家へ移った本平は、まだ荷も解かぬうちに道ばたの白い花を摘む。
名を知らぬその花は、裏を返すと花弁とも萼ともつかなかった。
やがて医者となり、蘭方を学び、人の身体をひらいて臓器の位置を確かめた男は、ある雨の夜、二つの家のどちらへ先に向かうかを選ばねばならなくなる。
医を退き、慾斎と名を改めた彼は、草の葉脈を一本ずつ写しはじめる。
名を付けることと、見ることのあいだで、男は何を確かめようとしたのか。


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