風下の冬

目次

①時代と舞台

平安時代の終わり、治承(じしょう)4年(1180年)の冬。京の六波羅(ろくはら)の屋敷を舞台に、奈良へ兵を送るかどうかを決めかねる平清盛(たいらのきよもり)と、その兵を率いる息子・重衡(しげひら)の物語です。

②歴史の手がかり

  • 平清盛と平家 武士として初めて太政大臣にのぼり、娘の徳子を高倉天皇の中宮として、一門で朝廷の要職を占めました。京の六波羅に屋敷を構え、晩年は出家して「入道」と呼ばれました。
  • 南都の寺々と衆徒 南都とは奈良のことです。興福寺や東大寺などの大寺院は、衆徒と呼ばれる多くの武装した僧を抱え、朝廷や平家にも従わない大きな力を持っていました。1180年に以仁王が平家打倒の兵を挙げると、興福寺はこれに味方しました。
  • 揺らぐ平家(1180年) この年、平家は都を福原へ移しましたが、半年ほどで京へ戻しました。東国では源頼朝が兵を挙げ、近江でも源氏が立ち上がりました。平家が南都へ遣わした使者の一行は衆徒に討たれ、首をさらされたと伝わります。
  • 南都焼討 年の暮れ、清盛の五男・重衡が率いる軍が奈良へ攻め入りました。『平家物語』は、夜の戦いで明かりのために放った火が強い風にあおられて燃え広がり、興福寺と東大寺の多くの堂塔が焼け、大仏殿も焼け落ちたと伝えています。
  • 清盛の家族 妻の時子、三男の宗盛、五男の重衡が作中に登場します。宗盛は清盛の跡を継いで平家の棟梁となりました。

③あらすじ

夜半、六波羅の屋敷から大和へ向けた早馬が門を出ていく。
「追いかければ、まだ間に合います」。
息子・宗盛の言葉に、清盛は火桶に手をかざしたまま答えない。
南都へ遣わした使者たちは討たれ、首をさらされた。
東国では頼朝が兵を起こし、都へ米を運ぶ道も危うい。
翌朝、南都で死んだ使いの姉が、弟の遺したものを受け取りに門の前に立つ。
そして清盛は、息子の重衡を大和へ送り出す。
「勝ちに急ぐな」。
帰りを待つ六波羅へ、使者が一人、また一人と報せを運んでくる。


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