焼け残った名―船史恵尺

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①時代と舞台

飛鳥時代、推古天皇(すいこてんのう)28年(620年)から乙巳の変(いっしのへん)(645年)、そして『日本書紀』が完成する養老(ようろう)4年(720年)まで。国の最初の歴史書づくりに携わった記録係、船史恵尺(ふねのふひとえさか)の物語です。

②歴史の手がかり

  • 天皇記・国記 620年、聖徳太子(作中では「上宮の皇子」)と蘇我馬子が編んだとされる、日本最初の歴史書です。どちらも現存しません。
  • 乙巳の変(645年) 中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足が、宮中で蘇我入鹿を殺害した政変です。翌日、入鹿の父・蝦夷は屋敷に火を放って自害し、そのとき天皇記と国記も焼かれました。
  • 船史恵尺 百済系の渡来氏族・船氏の出身で、記録を職務とする「史」でした。『日本書紀』には、燃える国記を素早く取り出して中大兄皇子に献上したと、ただ一行だけ記されています。
  • 道昭 恵尺の子の僧です。653年に唐へ渡り、『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘に学びました。
  • 山背大兄王 聖徳太子の子とされる王族です。643年、蘇我氏の兵に斑鳩の宮を囲まれ、一族とともに自害しました。

③あらすじ

「国の始まりを書け」。
蘇我馬子に命じられた史・船史恵尺は、見た者のいない「始まり」を前に筆を止める。
家々は違う祖先を語り、同じ戦を違う話で伝える。
恵尺は、一つに決められない話を紙の端に小さく書き残していく。
だが時代が移ると、権力者はその小さな字を「消せ」と命じる。
そして645年6月、蘇我の屋敷が炎に包まれる。
天皇記と国記――燃えさかる部屋で、恵尺の腕には一つの書しか抱えられない。


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