祈りの残らぬ者

目次

①時代と舞台

戦国時代の終わり、天正(てんしょう)年間。明智光秀の丹波(たんば)攻めで落ちた丹波国(たんばのくに)余部城(あまるべじょう)(いまの京都府亀岡市(かめおかし))を舞台に、逃がす民の名を帳面に書き留めた家臣・山名兵庫(やまなひょうご)の籠城(ろうじょう)を、後の世に寺の裏山から出た刀と帳面を通して描く物語です。

②歴史の手がかり

  • 明智光秀の丹波攻め 織田信長の命を受けた光秀は、天正3年(1575年)から数年をかけて丹波の武士たちを攻め、平定しました。
  • 余部城と福井因幡守貞政 余部城(丸岡城)は、亀岡市余部町にあった城です。伝えでは、城主・福井因幡守貞政は降伏を勧める明智方の使者の髻を切って追い返し、天正6年(1578年)に落城、城内の持仏堂で自害したとされます。本丸の跡には今、西岸寺が建っています。
  • 髻 髪を頭の上で束ねたものです。武士にとって、これを切られることは大きな恥辱でした。
  • 籠城と民 城攻めでは、城下の民も戦に巻き込まれました。記録に残るのは城主の名と落城の日付であることが多く、そこにいた人々の名はほとんど残っていません。

③あらすじ

雨で崩れた寺の裏山から、鞘から抜けない刀と、白布の包みと、虫に食われた帳面が出てくる。
読める頁には「四十三」「五十六」という数字と、墨の滲みが一つあるだけだった。
時は遡り、明智勢に囲まれた余部城。城主・福井貞政は籠城の米を半分城下へ配り、降伏を勧める使者の髻を切らせる。
そして家臣の山名兵庫に、土塁の古い水抜き穴から民を逃がすよう命じる。
「誰を」「決めよ」。
帳面を手に、兵庫は逃がす者の名を一人ずつ書き留めていく。


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