目次
①時代と舞台
鎌倉時代の終わりから南北朝時代。播磨国(はりまのくに)佐用荘(さよのしょう)(いまの兵庫県佐用町(さようちょう))の武士・赤松則村(あかまつのりむら)(のちの円心(えんしん))が、五十七歳で挙兵(きょへい)してから七十四歳で亡くなるまでの物語です。
②歴史の手がかり
- 赤松円心(則村、1277〜1350) 播磨の武士です。元弘3年(1333年)、後醍醐天皇の皇子・護良親王(大塔宮)の令旨を受けて挙兵し、京の六波羅探題攻めで活躍しました。
- 建武の新政と護良親王 鎌倉幕府が滅ぶと、後醍醐天皇の新しい政治が始まりました。しかし円心への恩賞は少なく、やがて円心は足利尊氏の側につきます。護良親王は尊氏と対立して失脚し、幽閉の末に殺されました。
- 白旗城の籠城(1336年) 九州へ逃れた尊氏を追う新田義貞の大軍を、円心は播磨の白旗城(いまの兵庫県上郡町)で五十日あまり食い止めました。この間に尊氏は勢力を立て直し、京へ戻ります。
- 播磨守護と赤松氏 その功で円心は播磨の守護となり、赤松氏は室町幕府の有力な守護大名となりました。円心は禅宗を深く信仰し、上郡町に法雲寺を開いています。
③あらすじ
播磨の山から、谷向こうの集落が燃えるのを見た少年・則村は、その炎を美しいと思った。
やがて武士となった彼は、敵に兵糧を渡した村に火を放ち、焼け跡から子どもの遺体が見つかったと聞く。
その子の名を一度だけ紙に書いて懐へ入れ、いつしかその紙を失くした。
五十七歳、親王の令旨を手に挙兵。
勝つたびに名は遠くまで届き、白旗の山では尊氏のために「負けない」籠城を続ける。
死者の名を書き連ねた紙の一番下には、ずっと空白が残っていた。

