門の内側―松平広忠

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①時代と舞台

戦国時代、天文(てんぶん)4年(1535年)から天文18年(1549年)まで。三河国(みかわのくに)岡崎城(おかざきじょう)を舞台に、のちの徳川家康の父・松平広忠(まつだいらひろただ)の生涯を描く物語です。

②歴史の手がかり

  • 松平氏と岡崎城 三河国(いまの愛知県東部)の岡崎を本拠とした武士の一族です。広忠の嫡男・竹千代が、のちの徳川家康です。
  • 守山崩れ(1535年) 広忠の父・松平清康が、尾張守山の陣中で家臣の阿部正豊(弥七郎)に斬られた事件です。父の阿部定吉(大蔵)が謀反を疑われて処刑されると思い込んだためと伝わります。清康の死で、松平家は大きく揺らぎました。
  • 流浪と帰城 一族の松平信定が岡崎を押さえたため、幼い広忠は阿部定吉に守られて伊勢や遠江などを流浪し、天文6年(1537年)、今川氏の後押しで岡崎城へ戻りました。
  • 織田と今川のはざま 西の尾張には織田信秀、東の駿河・遠江には今川義元がいました。松平家は今川に従うことで織田に対抗しましたが、妻・於大の実家である水野家が織田方についたため、広忠は於大と離縁しました。
  • 人質という習わし 戦国時代、弱い側の家は、強い家に従う証として子を人質に差し出しました。広忠の子・竹千代も、今川への人質として駿府へ送られることになります。

③あらすじ

天文四年の冬、主を乗せずに父の馬が戻ってきた。
十歳の千松丸は、父・清康が陣中で家臣に斬られたことを知る。
斬ったのは、父の重臣・阿部大蔵の子だった。
一族の争いで城を追われ、その阿部大蔵に連れられて諸国を逃げ歩いた少年は、やがて岡崎へ戻り、広忠と名乗る。
だが西には織田、東には今川。
城を守るたびに、彼は何かを手放さなければならなかった。
針を持って袖を繕ってくれた妻・於大。
そして、自分で草鞋の緒を結ぼうとする幼い嫡男・竹千代。


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