目次
①時代と舞台
飛鳥時代、推古天皇(すいこてんのう)16年(608年)から白雉(はくち)4年(653年)まで。遣隋使(けんずいし)とともに海を渡り、のちに新政権の顧問となった学問僧・旻(みん)の物語です。
②歴史の手がかり
- 旻 608年に隋へ渡った学問僧で、もとの名を新漢人日文といいます。二十四年後の632年に帰国し、易や天文を教えました。蘇我入鹿や中臣鎌足も、旻のもとで『周易』を学んだと伝わります。
- 天狗と彗星 637年、大きな流星が音を立てて流れたとき、旻は「天狗である」と説明しました。これが日本の文献に「天狗」の語が現れる最初の例とされます。639年には彗星を見て「飢饉の兆し」と述べました。
- 国博士 645年の乙巳の変の後、旻は高向玄理とともに新政権の顧問「国博士」に任じられ、役所の制度づくりに関わりました。
- 白雉改元 650年、穴戸(いまの山口県)から白い雉が献上され、旻が「天下が治まる時に現れるもの」と答えたことから、年号が「白雉」に改められました。
- 旻の死 653年に病に倒れ、孝徳天皇が自ら僧房を見舞いました。
③あらすじ
白い雉が宮に届いた日、僧・旻は天皇から「これは、何のしるしか」と問われる。
旻の一言で、籠の鳥は国の吉兆になる。
袖の中には、隋の都が焼けた年に拾った、一字だけ焼け残った木簡があった。
旻はいまだにその字を読めずにいる。
流星を「天狗」と名づけ、彗星に飢饉を読んだ日々。
かつて『周易』を教えた入鹿の死。
人々の不安を「兆し」の言葉に変えてきた学者は、最後に何を読もうとしたのか。

