目次
①時代と舞台
『日本書紀』で垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代とされる、伝承の時代。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御鏡(みかがみ)を抱き、鎮(しず)まる地を求めて諸国を巡った皇女(こうじょ)・倭姫命(やまとひめのみこと)の旅を、伊勢の神宮が生まれるまで描く物語です。
②歴史の手がかり
- 八咫鏡と倭姫命 八咫鏡は、天照大御神の御霊代とされる鏡です。『日本書紀』によると、崇神天皇の時代に宮中で祀られていた鏡を豊鍬入姫命に託して宮の外で祀らせ、垂仁天皇の時代に倭姫命が役目を引き継ぎ、鎮まる地を求めて大和から近江・美濃を経て伊勢へ至ったとされます。
- 元伊勢と瀧原宮 倭姫命の旅の途中で一時的に鏡が祀られたと伝わる各地の宮や神社を「元伊勢」と呼びます。三重県大紀町の瀧原宮もその一つとされ、内宮の別宮として今も深い森の中にあります。
- 「常世の浪の重浪帰する国」 『日本書紀』で、天照大御神が倭姫命に告げたとされる言葉です。「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪の打ち寄せる国。都から離れた美しい国である。この国に居たいと思う」。題名はここから取られています。
- 伊雑宮と磯部 志摩市磯部町の伊雑宮は内宮の別宮で、「天照大神の遥宮」とも呼ばれます。倭姫命の旅の折、真名鶴が稲穂をくわえて鳴いていた地と伝わり、伊佐波登美命が祀られています。神田で行われる御田植祭は今も続いています。
- 外宮と豊受大神 雄略天皇の時代、天照大御神の夢のお告げによって、丹波から食物の神・豊受大神が迎えられ、外宮(豊受大神宮)が建てられたと伝わります。
- 伊勢の伝え 倭姫命の旅を詳しく語る『倭姫命世記』は、鎌倉時代に成立したと考えられている書物です。作中の宮川の真奈胡神や二見の浦の場面は、こうした伊勢の伝えを踏まえています。
③あらすじ
天照大御神の御鏡を抱いて国々を巡った叔母・豊鍬入姫命が、ついに倒れる。
「神の声だけを聞いてはなりません。神を恐れる人の声を聞きなさい。神を拒む人の声も」。
その言葉とともに鏡を受け継いだ倭姫命は、御杖代として大和を発つ。
伊賀の山では道を塞がれ、近江では迎えられながら疎まれ、旅は三年を越える。
ようやく見つけた美しい地・瀧原で、倭姫は「ここは答えではありません」と告げる。
やがて潮の匂いのする伊勢の浜で、彼女はこの地の祭りを預かる女・伊佐波登美と出会う。

