流れに祓われる 佐久奈度神社に詣でて
藤代顕向
瀬田川を望む高台に、佐久奈度神社は鎮座している。
境内へ足を踏み入れると、木々を渡る風の音に、遠く水の気配が重なった。
華やかさで人を迎えるというより、長い歳月をたたえた静けさのなかへ、そっと招き入れてくれる神社である。
創建は天智天皇八年、六六九年。
勅願を受けた中臣金連がこの地で祓いを行い、瀬織津姫命をはじめとする祓戸大神を祀ったのが始まりと伝えられる。
平安の頃には、都の穢れを祓う「七瀬之祓」の一所に数えられた。
社名は、大祓詞の「佐久那太理に落ち多岐つ速川の瀬に坐す瀬織津比賣」に由来するという。
勢いよく落ちる水が、罪や穢れを運び去っていく。
その言葉と、瀬田川が急流となるこの地の景観とが重なって、佐久奈度の名は今に伝わっている。
けれど、いま私が立っているのは、その急流の岸ではない。
昭和三十九年、天ヶ瀬ダムの建設に伴い、川辺にあった旧境内は水没することになった。
社は現在の高台へ遷され、長く祓いの場であった土地は水の底に残された。
境内の端に立ってみる。
木々が深く、川の姿は見えない。
かつての社地を包んだ水は、ここからは気配だけを伝えてくる。
流れを祀ってきた社は、流れの止まったその水を、もう目にすることもない。
拝殿の前に進み、祝詞を奏上して、神をお迎えする。
それから、心のなかで申し上げる。
まず、日ごろの感謝を。
次に、これまでに積もった罪穢れを祓ってくださるように。
そして、これからも良い方へ進めるように。
どこの社でも、私が申し上げることはいつも同じだ。
二拝二拍手一拝して、神にお還りいただく。
祓いは、一度で済むものではないのだろう。
生きていれば、罪も穢れも積もる。
この社も、土地を離れ、場所を移してなお、千三百年余り祓いを続けてきた。
祓いとは、過去をなかったことにするのではなく、積もるたびに同じ言葉で流していただく、その繰り返しなのかもしれない。
鳥居をくぐって振り返ると、空が明るかった。
帰りがけに足を止め、見えない川の気配に、しばらく耳を澄ませた。
2026.7.25
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